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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)1311号 判決

原告 杉原功

被告 有限会社石渡商店

主文

一  被告は、原告に対し、金五七万五八三三円およびこれに対する昭和四八年三月九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  主文第一・三項と同旨

2  被告は、東京都豊島区千早町三丁目六番地所在千早フードセンターの建物の西側部分に取り付けられている〈正〉なる記号および「丸正食品」なる文字ならびに北西部分に取り付けられている「丸正食品」なる文字の各看板を原告が撤去するのを妨害してはならない。

との判決および仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四二年四月一日、被告から別紙物件目録記載の店舗および居室を期間五年の約定で借り受け、右店舗で青果小売業を営んでいたものであるが、昭和四七年三月三一日、右賃貸借契約の期間が満了したので、次の約定でさらに右賃貸借契約を更新することとし、被告に対し、敷金として合計金二九万円を、更新料として合計金三五万円を、それぞれ支払つた。

店舗

期間 昭和四七年四月一日から昭和五二年三月三一日まで

賃料 一か月金二万七〇〇〇円

敷金 金二五万円

更新料 金三〇万円

居室

期間 昭和四七年四月一日から昭和五二年三月三一日まで

賃料 一か月金一万六〇〇〇円

敷金 金四万円

更新料 金五万円

2  ところが、昭和四七年九月二七日に、訴外石渡元子(以下訴外元子という。)が同年三月ころから数十回にわたつて原告賃借中の右店舗から現金および商品を窃取していたことが判明した。訴外元子は、被告会社代表者石渡きんの娘であつて、実質的には個人商店である被告会社が千早フードセンター内で経営するパン・菓子販売店の店員をしていた者である。

3  原告は、訴外元子の右窃盗行為により、被告との信頼関係が破壊され、もはや本件店舗および居室の賃貸借契約を継続しえない状態となつたため、昭和四七年一一月七日、被告に対し、同月末日限りで本件賃貸借契約を解約する旨告知し、同月二八日、右店舗および居室を明け渡した。

4  ところで、更新料は、賃貸借期間の途中での賃料増額にかわるものとして、賃料の前払い的性格を有するものと解すべきである。もともと、更新料を支払う法的根拠は何らなく、もつぱら賃貸人側の意向でその支払を要求されてきたものであるから、その法的性質を賃借人の利益に解釈することは、借家法等の立法趣旨にも合致するものである。ことに、本件における各更新料については、被告からこれを各月毎の分割払としてもよいとの話があつたのであり、五年間の契約期間に対応する増額賃料の前払いという性格を有していたものである。したがつて、本件のように契約期間の途中で賃貸借契約が終了した場合には、賃貸人たる被告は、更新料として受領した合計金三五万円のうち、賃貸借契約の残存期間である四年四か月に対応する金額の範囲内の金二八万五八三三円を賃借人たる原告に返還する義務がある。

5  仮に前項の主張が認められないとしても、更新料は、賃貸期間に対応してその額が定められているのであるから、前記窃盗事件のような賃貸人たる被告側の責に帰すべき事由によつて賃貸借契約の継続が不可能となり、期間の途中で終了せざるを得なくなつたときには、被告は、賃借人たる原告に対し、前項の金二八万五八三三円を返還する義務がある。

6  原告は、被告から本件店舗を借り受けた昭和四二年四月ころ、被告の承諾を得て、千早フードセンターの建物外壁の西側部分に原告の屋号である「丸正食品」という文字および〈正〉という記号からなる看板を、同北西部分に「丸正食品」という文字からなる看板をそれぞれ取り付けたのであるが、昭和四七年一一月の右店舗明渡しの際、被告に対し、右看板を原告の費用で撤去させてほしい旨申し入れたところ、被告は、右看板を使用すべき何らの権限もないのにかかわらず、これを拒絶し、原告が右看板を撤去しようとするのを妨害している。

7  よつて、原告は、被告に対し、本件賃貸借契約の終了に基づき、敷金合計金二九万円と返還すべき更新料合計金二八万五八三三円との合計金五七万五八三三円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四八年三月九日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、所有権に基づき、原告の前記看板撤去に対する妨害禁止を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項記載の事実は認める。

2  請求原因第2項記載の事実のうち、訴外元子が被告会社代表者の娘であり、原告の店舗から現金等を窃取したことは認めるが、その窃盗行為の回数および目的物は否認する。

3  請求原因第3項記載の事実のうち、訴外元子の行為により原・被告間の信頼関係が破壊されたとの主張は争い、その余の事実は認める。

原告主張の窃盗行為は、法人である被告とはまつたく別人格の訴外元子個人の行為であるから、同人の行為が原・被告間の信頼関係に影響を及ぼすことはなく、しかも、訴外元子の事件は、警察官の仲介により、訴外元子の母石渡きんが被告弁償として金四万円、原告の探偵社依頼に要した費用として金一〇万円をそれぞれ原告に支払い、示談が成立しているものである。

原告が昭和四七年一一月に本件賃貸借契約を解約する旨申し入れたのは、原告の経営不振が原因であつて、訴外元子の事件がその原因ではない。すなわち、千早フードセンターは、原告の経営する八百屋を含めて四軒の店舗から構成されていたが、その一軒である魚屋が昭和四七年三月末で営業を廃止したため、その後はフードセンターとしての機能が低下し、原告の八百屋も営業不振に陥り、廃業するに至つたのである。

4  請求原因第4・第5項は争う。

更新料は、場所的利益確保の対価と見て、いわゆる権利金と同性質のものと解すべきであるから、いつたん更新料を支払つて場所的利益を確保した後は、いかなる事情が発生しても、その返還を求めることはできない。

5  請求原因第6項記載の事実のうち、原告がその主張の内容の看板を掲げたこと、その看板が原告の屋号を表示するものであつて被告に使用権限のないことおよび被告が原告主張の撤去の申入れを拒んだことは認め、その余の事実は否認する。

6  請求原因第7項は争う。

三  抗弁

本件賃貸借契約には、賃借人の解約申し入れにつき、店舗については六か月の、居室については一か月の各予告期間をおく旨の特約があるところ、原告の本件賃貸借の解約申入れは、昭和四七年一一月になされたのであるから、本件賃貸借契約は、店舗については昭和四八年五月末日まで、居室については昭和四七年一二月末日まで、それぞれ存続していたものである。したがつて、本件賃貸借の終了によつて被告が原告に返還すべき敷金は、被告が受領していた合計金二九万円から、店舗については六か月分の、居室については一か月分の各未払い賃料の合計金一七万八〇〇〇円を差し引いた残金一一万二〇〇〇円である。

四  抗弁に対する認否

被告主張の特約があることは認める。しかし、本件のように、賃貸人である被告の責に帰すべき事由により解約のやむなきに至つた事情の下では、右特約は適用されないというべきであるから、本件賃貸借契約は、昭和四七年一一月末日をもつて終了した。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因第1項記載の事実については当事者間に争いがない。

二  原告が昭和四七年一一月七日被告に対して本件賃貸借契約を同月末日限り解約する旨告知したことは当事者間に争いがなく、証人杉原政子・同石渡忠義の各証言によれば、次の事実が認められる。

原告の妻訴外杉原政子は、昭和四七年八月ころ、原告の経営する八百屋店頭から商品が紛失するのに気付き、盗難の疑いを持ちはじめたが、九月に入つて、たまたま、被告会社代表者の娘の訴外元子(同人が被告会社代表者の娘であることは、当事者間に争いがない。)が店員をしている千早フードセンター内の被告経営のパン・菓子販売店(原告店舗と間仕切なくして隣接している。)に原告の商品が箱詰にされているのを発見した。そこで、原告は探偵社に依頼して訴外元子の行動を調査したところ、探偵社は、九月二二日に訴外元子の窃盗行為の現場を写真撮影し、同月二七日には原告らとともに同人の窃盗行為を現認したので、原告は、訴外元子の弟で、被告会社の経営を実質的に担当している訴外石渡忠義(以下訴外忠義という。)を交えて訴外元子を問い質したところ、同人もこれを認めて原告に示談解決を要請した。原告は石渡側に対し、被害弁償を求めるとともに、右のような事件があつたので、もはや本件店舗での営業は継続しがたいものと判断し、本件賃貸借関係の解消を望んだが、折合いがつかず、過大な要求をされることを恐れた石渡側が結局窃盗事件を進んで警察に申告した結果、警察での取調べにおいて、訴外元子が、同年六月から九月にかけて、二一回の多数にわたり、商品一万五〇〇〇円相当、現金二〇〇〇円を原告店舗から窃取していたことが明らかとなつた。そして原告は、右窃盗事件については、ほぼ訴外忠義の提案どおりの額である金一五万円で石渡側と示談をしたが、本件賃貸借関係を解消することについては、訴外忠義から最後まで拒否されたため、合意に達することができなかつた。

他方、昭和四七年三月の本件賃貸借契約の更新時に、千早フードセンター内の魚屋が賃貸借契約を更新しないで店舗を明け渡したため、以後、魚屋店舗は空いたままになつたが、原告は、右魚屋の閉店による売上減少を覚悟の上で、本件契約を更新した。そして、実際にも更新後の売上げは減少したが、それでも赤字になることはなく、営業を続けてきた。

以上の事実が認められ、証人杉原政子・同石渡忠義の各供述のうち、右認定に反する部分はにわかに採用することができないし、その他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実に基づいて案ずるに、訴外元子の原告店舗からの窃盗行為は、二-三か月にわたつて数十回もあり、その窃取金品も合計二万円を下らなかつたというのであるし、フードセンター内の店舗の構造は内部の者に対しては無防備な状態にあるといえるから、右窃盗事件を理由に原告が本件店舗での営業を継続しがたいと考えたことは、十分うなずけるものがある一方、原告店舗での営業成績は、以前より落ちたとはいえ赤字になつたわけではなく、空店舗への入店者を期待することも全然できないわけではなかつたのであるから、原告が本件店舗での経営を断念するに至つた主な動機を営業不振とすることはできない。なるほど、右窃盗事件は、被告主張のとおり訴外元子の個人的犯罪ではあるが、被告会社は同族経営的色彩が非常に強く、その同族の一員である訴外元子は被告会社と不可離の関係に立つ者である以上、同人の犯行は、一個人の行為として評価されるにとどまらず、賃貸人側の責任分野で生じた・賃貸借契約の継続を困難ならしめる事由として、本件原・被告間の信頼関係に影響を及ぼすことも否定しがたく、むしろ、その犯行の前示のような態様、程度からは、信頼関係は破壊されたと断じることができる。なお、右窃盗事件については示談が成立しているが、これをもつて直ちに信頼関係の維持または回復を云々しえないことは当然であろう。

三  本件賃貸借契約の条項中には、賃借人からの解約申入れにつき、店舗については六か月、居室については一か月の各予告期間を定めた特約があつたことは、当事者間に争いがない。この特約は、賃借人からの解約申入れ後、短期間で契約が終了することにより賃貸人が損害を被るのを防ぐ趣旨であると解されるところ、一般に賃貸人側の責に帰すべき事由によつて両者間の信頼関係が破壊され、よつて賃借人から解約の申入れがなされる場合には、契約終了の原因を作出した賃貸人においてこれによる損害を負担すべきものであるから、このような場合には、賃貸人の利益を保護するための前記特約は適用の余地がないこととなる。してみれば、本件店舗および居室の賃貸借は、昭和四七年一一月末日をもつて終了したものといわなければならないから、被告は、原告に対し、敷金合計金二九万円を返還すべき義務があるというべきである。

四  次に、更新料の返還請求について判断するに、契約更新の際当事者間で授受される更新料の性質をどのように把握するかについては、種々の考え方の存するところであるが、本件賃貸借のように、五年の賃貸期間に対し、店舗については約一一か月分の賃料相当の更新料が、また居室についても、約三か月分の賃料相当の更新料が、それぞれ授受されている場合には、単に将来の賃料の補充としての賃料の前払いの意味だけでなく、営業上の利益もしくは場所的利益に対する対価としての意味をも包含しているものと解するのが相当である。

ところで、更新料の授受がなされた賃貸借が賃貸期間の中途で終了するに至つた場合、当該更新料の性質が、賃料の前払いであればもちろん、営業上の利益もしくは場所的利益に対する対価であるとしても、残存期間の利用が不可能となり、その期間における利益の享受もできなくなるのであるから、賃貸人は、特段の事情がない限り、不当利得として、残存期間に対応する額の更新料を賃借人に返還すべきものと解するのが相当である。これを本件についてみると、更新料の不返還について明示の合意がなされたものと認めるに足りる証拠はなく、また、賃借人側の帰責事由によつて賃貸借が終了した場合には更新料の返還をしないのが当事者間の一般的な意識であるとしても、本件では、前記のとおり、賃貸人たる被告側の帰責事由によつて終了するに至つたものであり、その他特段の事情と見るべきものはないのであるから、被告は、原告に対し、残存期間(四年四か月)に対応する更新料合計金三〇万三三三三円を返還すべき義務があるものといわなければならない。

五  原告が、昭和四二年四月本件店舗を借り受けるにあたり、原告の屋号である〈正〉の記号および「丸正食品」の文字からなる看板を千早フードセンターの外壁に掲げ、その後、右店舗を明け渡す際に右看板の撤去を申し入れたところ、被告が原告の右看板の取りはずしを拒んだことは、当事者間に争いがない。しかしながら証人石渡忠義の証言によれば、被告は、昭和四八年七月右看板を取りはずし、保管中であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告の右看板撤去に対する被告の現在の妨害行為はありえないものというべきである。

六  以上の説示によれば、原告の本訴請求は、敷金合計金二九万円と契約期間の残存期間四年四か月に対応する更新料のうちの合計金二八万五八三三円との合計金五七万五八三三円およびこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年三月九日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、これを認容し、その余は失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 倉田卓次 平手勇治 合田かつ子)

(別紙)物件目録〈省略〉

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